クイックノート

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虐待死を防ぐ唯一の方法は虐待冤罪を無くすこと

連日のようにニュースになる虐待事件の中でも、
特に見逃せないのが虐待による死亡事件でしょう。

虐待死のニュースを見ると、
こんなことになる前に何とか防ぐことは出来なかったのかと、
胸が痛い思いをします。

SNSやネットでは、
「児相に権限が足りない」、
「児相の職員が足りていないから、
虐待死がなくならないんだ」
という意見も散見されます。

本当にそうでしょうか?

児相の権限が強くなれば虐待死は減るのでしょうか?
児相の職員が増えれば虐待死は減るのでしょうか?

児相の対応や、統計データを見ていると、
問題はそんなに簡単ではないように思います。

権限が強くても、職員が増えても、
結局、それを運用する児相自体の体質が、
虐待死を防ぐ方向に働いていないというのが、
正しい現状なのではないでしょうか。

虐待死を防ぐための武器は揃っても、
それを使う人が正しい使い方をしていない

これが最大の問題だと思います。

むしろ、あろうことか、児相はその武器を、
向けるべきではない相手に向かって振りかざしているのです。

虐待死を防ぐには何が必要か

虐待によって亡くなってしまう子供たちを
救うにはどうすれば良いでしょうか。

まずは、その子供たちが虐待を受けていることを、
知られる必要があるでしょう。

一般的には、通報という形で虐待が認知されることになります。

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知られただけでは不十分で、
その子供たちが虐待を受けない
安全な場所で保護されるという必要があるでしょう。

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虐待死を防ぐための理想的な状態

これはある種の理想的な状況です。
この状況であれば虐待死はゼロのはずです。

ところが現実の問題としてそうはなっていません。
上の理想の図のどこかが現実と乖離しているのです。

なぜ今、虐待死が起こっているのか

上の図と現実がどう異なっているかを考えれば、
虐待死が起きている原因がわかり、
それを解決する方法も考えることができるでしょう。

そこで、いくつかのパターンを考えてみましょう。

誰にも知られないまま亡くなってしまった?

まず思いつくのは、虐待が知られることのないまま、
子供が亡くなって初めてその事実が明るみに出るというものです。

確かに、虐待は家庭内という閉じた空間で起こることが多く、
発覚しづらいという可能性も十分にあります。

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通報されることなく虐待で亡くなる場合

ところが、最近のニュースをみていると、そのほとんどが、
児童相談所のもとに通報は入っていたのに亡くなっています

つまり、今、現実に起きている虐待死の原因は、
虐待が知られているかどうかの問題ではないのです。

児相職員が足りず対応しきれない?

SNSでよく見かけるのは、
「児相の人員不足」「保護施設の定員オーバー」と言った、
保護できる人数に限りがあるのが問題だという説です。

保護できる人数より、命の危機にある子供の数が多すぎるから、
虐待死を無くせないというものです。

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児相職員が少なすぎるという場合

ところが、この説は現実の統計情報と大きく矛盾します。

職員や施設が足りないのが問題であれば、
それらを増やせば、虐待死を減らせるハズです。

児童相談所も児相の職員も増え続けている

厚労省の「児童相談所の現状」の資料によれば、
児童相談所の数も、そこで働く児童福祉司の数も
年々増加の一途
を辿っています。

ハコとヒトを増やせと言っている人もいますが、
ここ20年間ほど、児童相談所も職員も増え続けているのです。

むしろ、少子化が進む現代に置いて、
一度も減少せずに、ここまで綺麗に増加を続けているのは、
少し異常さを感じるほどです。

虐待死の数は横ばい

職員が足りていない説が正しければ、
職員数の増加によって、
虐待死の数は減少しているはずです。

ところが、虐待死数の統計データを見ると、
虐待死数は減らず、増えずのほぼ横ばいとなっています。

毎年50人程度の虐待死がどの年もほぼ変わらずに起こっています。

このことから、児童相談所や職員が増えても
虐待死の防止には繋がっていないことが明らかです。

児童相談所は保護する相手を間違えている

現実に起きている状況や統計データから、
どうも短絡的に思いつく原因から外れた所に、
虐待死の原因がある
ようです。

児相が存在を知るまでには至っていて、
保護する人数は増えていくのに、
いつまでたっても虐待死は減らない。

この状況と矛盾しないのは、下の図のように、
虐待死のような重要な件以外が保護され続ける状況でしょう。

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児相が不必要な保護ばかりする現実

つまり、児相の保護の対象が決定的に間違った所に偏っているので、
児相に通報があったとしても、
どれだけ保護数を増やそうとも、
虐待死の数が変わらないのです。

虐待死を防ぐには

今、現実に起こっている状況から考えると、
児童相談所は間違えた対象を保護していると結論づけられました。

では、児童相談所には間違わないようにしてもらえば良いのですが、
どうすれば良いのでしょうか?

何故重要な案件を避けるのか

そもそも児相は何故虐待死のような重要な案件を避けるようにして、
その他の保護に走ってしまうのでしょうか。

その最たる原因は、働いている人間の感情的な問題に起因するものでしょう。

下記の記事で考察しましたが、
人間誰しも面倒で重要な案件よりも、
簡単で軽い案件の方に取り掛かりたくなるものです。

clean-copy-of-onenote.hatenablog.com

同じ時間をかけて仕事をするなら、
面倒な案件をじっくりするよりも、
簡単な案件を数こなす方が、
外からも働いているように見えて評価に繋がります。

今や、児相の元には、
相談という形でいくらでも仕事が入ってくるようになり、
軽いものから重いものまで、選びたい放題となっています。

軽い案件を選びたいという気持ちがあるから、
常に虐待死の案件は放置され、
保護されるべきではない子供ばかりが保護されていきます。

児相がサボる手助けをしない

上のように児相が重要度の低いものばかり
選ぶことは許されることではありません。

児相としてあるべき姿は、当然、重要度の高いものから取り組むことですが、
それは理想の姿で、机上の空論でしかありません。

現実の人間の姿をとらえて考える必要があります。
人間は誰しもサボりたいのです。楽ができるなら楽したいのです。
軽い案件と重い案件があれば、
ダメだと分かっていても軽い案件を選んでしまうのです。

こんな状況では、確度の低い通報は、
むしろ児相をサボる手伝いをしていることになります。

大阪府警はホームページ上で、
「赤ちゃんの泣き声がする」で虐待の通報を勧めています。
これは、確度の低い通報の代表例でしょう。

改めて言うまでもない世界の常識だと思いますが、
「赤ちゃんは泣くもの」です。
それで通報された件はほぼ全てが虐待から程遠いものでしょう。

逆に、嫌がらせ、面白半分、偽りの正義感による無駄な通報が減れば、
児相は、本当に重要度の高い案件に関わらざるを得なくなります

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通報の確度をあげれば虐待死は救える

「虐待死を防ぐために通報しないと」と言う人がいますが、
現実を見れば、そのような重要な件はほぼ通報が入っています。

そこに余計な通報を付け加えることで、
児相は仕事をサボることができているのです。

「通報しないと」と言う人は、
間接的に虐待死を招いているかもしれないことまで、
よく考えるべきでしょう。

ただでさえ、誤った通告は、
本来必要の無かった「仲の良い親子の強制的な分離」と言う、
新たな虐待を生むのです。

まとめ

今日起こっている虐待死は

  • 児相には情報が入っているのに防げない
  • 児相の職員が増えても虐待死は減らない

という歪な状況に陥っています。

その歪な状況を引き起こしているのは、
人間の歪な性質でしょう。

人間は決して合理的な生き物ではありません。
ダメだと分かっていても楽をすることもあります。
児相も人間なので、凶暴な虐待親よりも、
大人しそうな無害な親をターゲットに選びたくなります。

私たちにできることは、児相に楽をさせないことでしょう。
「赤ちゃんが泣いていたら通報」なんてもってのほかです。
確信を持てる通報をしましょう。
私たちは自分で情報を集めることだってできるのです。

「冤罪を減らすこと」と「虐待を防ぐこと」は、
決して対立したものではありません。

むしろ、今ここに至っては、
「冤罪を減らすこと」こそ、
児相に楽をさせず「虐待を防ぐこと」に等しいのです。

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